栗城さんは2012年10月に4度目の挑戦を行ったが、8070メートル地点で強風のため登頂を断念。
下山途中に両手、両足、鼻が重度の凍傷となり、両手の指9本を失った。
リハビリとトレーニングを続け昨年、世界12位高峰ブロード・ピーク(8047メートル)の単独無酸素登頂に成功し、復帰を果たした。
その後も富士山や標高6000メートルに設定した低酸素室でトレーニングを重ねてきましたが登頂を断念されたそうですね。
そんな栗城史多さんはどんな人か迫っていきましょう。
栗城史多さんってどんな人?
栗城 史多(くりき のぶかず、1982年6月9日 33歳 )は、日本の登山家、起業家。株式会社たお代表取締役。
北海道瀬棚郡今金町出身[2]。北海道檜山北高等学校、札幌国際大学人文社会学部社会学科卒業。
よしもとクリエイティブ・エージェンシーと2011年9月から業務提携。
「冒険の共有」をテーマに全国で講演活動を行いながら、年に1、2回ヒマラヤ地域で高所登山を行っている。
エベレストには単独無酸素登頂と頂上からのインターネット生中継を目指し、2009年9月チベット側、2010年9月ネパール側から挑んだが、8,000mに達することが出来ず敗退。
2011年8〜10月に前年と同じネパール側から3度目の挑戦をしたがサウスコル7900mに達せず敗退。
2012年10月に西稜ルートから4度目の挑戦も強風により敗退しています。
2014年7月24日 – ブロード・ピーク(世界第12位高峰 8,047m)登頂。
満を持して再挑戦に向かいましたが失敗に終わってしまったそうです。
以前の指の凍傷は嘘?
どこから流れたかは不明ですが本人のツイッターから凍傷が嘘だと言われているということが読み取れます。
「僕が2012年秋季エベレストにて凍傷で9本の指を失ったのは、スマートフォンをいじっていてなったというデマを流している人いるだけど。。指だけではなく、両足と鼻も凍傷になり、それだけで秋季エベレストは風が強く過酷だったからなのに。現場にいないのにデマを流す人なにが楽しいの?」
と書かれているとおり、本当なのだと思います。
エベレスト登頂断念
「全力を尽くしましたが、ラッセルで長い時間が掛かり、このまま進むと生きて戻ることができないと判断して、悔しいですが下山を決めて最終キャンプまで戻ってきました」と投稿している。」と更新されており5回目の挑戦も失敗に終わってたようです。
様々な憶測やうわさが飛び交っていますが、何はともあれ、頑張る姿は素敵ですね。
年齢的にもまだまだ挑戦できる年齢なので、また次に向けてチャレンジを重ねていってほしいと思いました。